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江戸時代の食事とは?「玄米菜食・朝食抜き」が理想的な食事!

2017.9.2

江戸時代がどんな食事だったのか詳しく知っていますか?

江戸時代は玄米から白米に代わった時代でもありますが、江戸時代の庶民が食べていた「玄米菜食・朝食抜き」が世界一健康で理想的な食事だと言われています。

江戸時代の食事について詳しく見ていきましょう。

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江戸時代の食事が玄米から白米に変化した際に起こったある病とは

昔は白米は高級品とされており、身分の高い人しか食べることができませんでした。
庶民の中心は「玄米」。その状況が変わったのは江戸時代に入ってからになります。
流通システムの上昇に伴い、江戸時代に庶民の食卓にも、白米があがるようになったのです。「江戸には仕事もあるし白米も食える!」との噂も広まり、地方から江戸へ集まりはじめたのです。
江戸の人口が急激に増えたのは、この白米が原因とまで言い切る研究者もいるほどです。
昔は一日に三食食べるという習慣がありませんでした。玄米は白米に比べて消化が悪かったからです。それが白米の普及によって「一日三食」が根付いたとも言われています。

白米が主流になった江戸ですが、地方の侍や大名が江戸へ行くと体調が悪くなるという奇妙な現象が現れたのです。
故郷へ帰ると体調も良くなることから、「江戸煩い」という病までついたほどです。

「江戸煩い」の原因、これはビタミンB1欠乏症の「脚気(かっけ)」だったのです。
明治に入ってようやく解明されたのですが、白米中心の食事によって胚芽部分に含まれるビタミンB1がそぎ落とされることよによって欠乏したのです。
白米のビタミンB1含有量がおよそ0.1gに対し、玄米は0.5gです。
ビタミンB1が欠乏するのも納得ですね。

江戸時代の食事「玄米菜食・朝食抜き」が世界一健康と認定!?

江戸・元禄時代以前の食生活は、「朝食抜き・玄米菜食」が基本でした。
実はこの「玄米菜食」が今最も健康的な食生活であるとして、高く評価されているのです。
アメリカ政府が世界各国から優秀な学者を集め、実に7年もの歳月をかけて研究した結果、「玄米菜食は世界一健康な食事である」とされたのです。
これは1977年の「マクガバン報告」の中でも書かれています。
また、理想的な食事回数は、江戸時代にとられていた食事回数「朝食抜きの1日2食」と明言されています。
ただ、昔ほど体を動かさない現代にあっては、紀元前大昔の1日1食でも十分なのかもしれません。

食事の回数は、時代と共に変化してきました。
戦国時代以降についてになりますが、徳川政権が安定した元禄時代は平和でした。
それ以前は農民から武士まで、朝食抜き1日2食が当たり前でした。戦や畑仕事は、胃袋が空の状態が一番の体づくりと言われていたからです。
その時代にあっても、安定した地位であった僧侶たちは暇でもあり、口寂しさから既に朝食を摂る文化が根付いていました。その影響もあって、武士の食生活も僧侶化して「1日3食」になり、やがて江戸町民も真似し始めたのです。

江戸時代の食事が玄米から白米へ以降する前の食事が理想的!

日本の食事、特に元禄時代以前の食事は最も理想的な食事として世界でも注目を集めています。

「マクガバンレポート」では、「ガンをはじめとする慢性疾患は、患者さんの生活習慣を改善することが重要である。従来の医学では治すことが不可能で、栄養に盲目であり偏った片目の医学である」とまで結論付けています。たしかに、担当医が患者さんの食生活まで完璧に指導するのは物理的に無理ですよね。
また日本の医師で本格的に「栄養学」を学ぶ人はほとんどいません。大学でもより詳しい栄養学を学ぶこともありません。
自分の体は自分で管理するしかないと言えますよね。

最も理想的な食事がなぜ元禄時代以前?という疑問を持ちますが、これは「江戸煩い」による脚気の流行が関係しています。
お米は精白したものですが、これによって胚芽に含まれる酵素・ミネラル・ビタミン・食物繊維と言った高い栄養素が無くなってしまうのです。
日本食は世界的に見ても健康食として注目されていますが、単に日本食というわけではなく、玄米を主食にしたころの和食が理想的なのです。
玄米を主食に、季節の野菜や海藻、魚介類をおかずとして和食が最も理想的だと言えるのです。

江戸時代「玄米菜食」その食事風景とは?

江戸時代の食事についてもう少し詳しく触れてみたいと思います。

玄米菜食だったのはもうおわかりだと思いますが、魚も広く流通していました。
ただ庶民にとってはあまり頻繁に食べられるものではなかったようです。
江戸の味覚を表現した言葉「五白」があります。これは「大根・豆腐・白菜・白魚・鯛」という白い食べ物が中心となった食事を表しているものです。出所はよくわからないようですが、魚を除いて「三白」という場合もあるそうです。

またお米ですが、江戸時代になると足踏み臼や水車を使って精米するなど、精米技術の向上と共に白米が流通したそうです。
それによって白米ばかりを食べるようになり、脚気(かっけ)が流行してしまったのです。
こうして江戸時代に玄米から白米に以降したことで、ビタミン不足による脚気が流行したと言われていますが、果たして本当に玄米だけが理由なのか・・・こう疑問に思う方も少なくないのではないでしょうか。

江戸時代庶民の食事は玄米以外の雑穀が多かった!?

江戸時代は玄米が主食でしたが、実は玄米以外の雑穀も多く食べれていました。

江戸時代の庶民の食事は、「ご飯・味噌汁・漬物」が一般的でした。今現在私たちがよく使う醤油や砂糖が普及したのも、この江戸時代と言われいます。醤油や砂糖が普及したことで、煮物も作られるようになりました。今の食生活の基盤となった時代でもあるんですね。

豊かに見える江戸時代の食事ですが、農民に至っては、江戸幕府から米を食べることを制限されていました。白米を食べることもあまりできず、主にアワやヒエなどの穀物を主食としていたのです。そればかりか、魚を口にする機会も少なく、比較的裕福な農民でさえ、月に1~2度程口にできるかどうかだったそうです。

武家も普段の食事は庶民とほぼ変わらない内容ですが、御家の体面や見栄もあるため、客を招いた宴会やお祝い事の際は奮発して贅沢な食事を出していたとか。
時には贅沢な食事もする武家ですが、何代も続く名家では「精進日」があり、魚肉が食べられる日が限られていたとか。
庶民とはまた違った理由で、魚を口にすることができなかったのですね。

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