弥生時代はどんな時代?小学校の授業で学ぶ弥生時代の特徴
2017.11.15
小学校で学ぶ歴史の授業では、弥生時代はどのような内容で教えられているのでしょうか。
縄文文化と比較して、その違いについて学んだり考えたりするようです。
今、小学校では弥生文化はどのように教えらているのでしょうか。
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記事の概要・目次
小学校では弥生時代についてどのような授業が行われているの?
弥生時代より前の縄文時代は、1万年以上続いていたと言われています。
そこに変化を与えたのは、大陸から渡って来た人々が持ち込んだ、いろいろな技術や物資だと考えられます。
その最大のものが稲作などの大規模農業の開始です。
これは日本における農業革命とも呼べるものでした。これにより、国家の誕生至りました。
縄文時代に続いて誕生した弥生時代は、現在から約2300年程前。それから600年ほどの期間を弥生時代と呼んでいます。
弥生時代の特徴の一つが、縄文時代とは全く違うデザインをもった新しい土器の登場です。
縄文時代の土器が、縄目など力強く装飾に富んでいるのに比べ、弥生時代の土器は、シンプルでスマートな形でスッキリしているのが特徴。
ろくろの技術が進歩したことで、より美しい円形を作ることができるようになりました。
また、最終工程での焼きでも、より高温で焼く技術が発達したため、薄くて丈夫な土器が作られるようになったのです。
小学校の授業での歴史の学び方。短歌で短く覚える方法
ある6年生の社会で歴史の授業を始める前に、オリエンテーションを行いました。
歴史を学ぶにあたり、次の二つのことに着目します。
1.人間の歴史は、豊さを求める歴史でもある
2.政治の仕組みやありようは、時代と共に変化してきた
授業は縄文時代からスタートします。
授業の流れを決め、それにそって各自・各班などでの話し合いや協力して学習します。
1.学習の「目当て」w提示する
2.教科書や資料を使って一人で調べてみる
3.全員が学習した成果を発表する
4.「なぜそうなったか」「どうしてそうなったと思うか」など、発問を追加する
5.授業について短歌の形式でまとめてみる。
全員の発表では、重要な項目をまとめてくるので周囲の生徒にも学習効果があります。
短歌の形にすると、重要な点を短いことばでまとめているので、覚えやすくなります。
また、それを廊下や教室の壁に貼って日常帝に視界に入ることで学習効果も期待できます。
弥生時代の学習、小学校の授業では「稲作」がポイント
弥生時代に起こった大きな変化の一つが「稲作」。
中国大陸から九州に伝わって始まったとされています。入試問題では、稲作が伝わった経緯よりも、稲作により変化した社会に重点を置いています。
【稲作の影響】
・稲作での分業化が後に身分階級を誕生させる
・分業がゆえに、まとめるリーダーの存在が現れる
・米を備蓄し所有する量の違いから、貧富の差が生まれる
・より豊かな土地や収穫したものを巡り、個人だけでなくムラ、国での争い
・環濠集落が生まれる(吉野ヶ里遺跡が有名)
これらのポイントを「なぜそういった変化が起こったのか」ということから話を始めます。
変化を明確にするため、弥生時代以前にあった縄文時代との比較をしながら話を進めます。
縄文時代は狩猟や漁労、採集によって生活が成り立っていました。
狩猟では、獲物となる動物を強力して捕獲し、肉を分ける
漁労は、魚を獲って食料にする。
採集は、木の実などを拾う。
といった内容です。弥生時代以降に比べ、縄文時代は「その日暮らし」であったといえるでしょう。
弥生時代とう名称は当時の発掘場所の地名にちなんでいる
弥生時代・弥生式土器の「弥生」という名称は、1884年に土器を発見した貝塚のあった場所が当時「東京府本郷区向ヶ丘弥生町」という町で、その地名から名づけられました。
初めは「弥生時代」と呼ばずに「弥生式時代」と呼ばれていました。「弥生式土器を使う時代だから」ということですね。
しかし、その後は「弥生時代」と呼ぶのが一般的になっています。
紀元前5世紀の半ば、大陸から九州へと伝わった稲作は、四国や本州へと広まっていきます。
佐賀県や福岡県など九州北部では、稲作に使われた道具や炭化していたものの当時の米などが発掘されています。
東北、青森には小規模でありながらも、整備された水田の区画が見つかっています。
弥生時代中期になると、松木盆地や千曲川流域に至りました。
東北よりも中部地方の方が伝播が遅かったのは、当時のモミでは、日照時間の短い地域では育ちにくかったことが原因と考えられます。
弥生時代は鉄おあったが石器も使用する金石併用文化
縄文時代が終焉を打替え、農耕文化が起こった日本。九州から薩南諸島~東北地方にかけて紀元3世紀頃まで栄えた時代を弥生時代と呼びます。
特有の姿を持った弥生式土器や国家・階級の誕生に加え、青銅や鉄を使った金属器が広まります。
銅剣や矛、銅鐸、銅鏡などの銅製品。斧や鉄鍬、鉄鋤などが次々に作られました。
この時代は、青銅や鉄にならび、まだ石器も使用されていたので「金石併用文化」と呼びならわすこともあります」
弥生式土器は、その形状にもさまざまなバリエーションがあり、高坏や亀、坪などあがります。
この頃、北海道では縄文時代の流れを汲んだ続縄文文化や、擦文文化、オホーツク文化など北海道独自の文化が育まれます。
一方、南西諸島や沖縄では貝塚文化が発達して生きました。
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